top of page
上浦支援員

『鯨の墓』ってご存じですか?


津久見市方面から国道217号線を南下し、豊後二見ケ浦から

500m程進んだ浅海井広浦の山側に「鯨の墓」という小さな看板が見えます。

今回『鯨の墓』についてすこし調べてみましたのでご紹介します。


現地には鯨の墓は2基あり、

①明治二十一年に捕獲された鯨の墓

②明治四十年に捕獲された鯨の墓

がそれぞれ建立されております。


②明治四十年に捕獲された鯨については、

文献が残っていたので内容をかみくだいて以下に紹介します。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 ある日、

 一人の女の子が海岸に打ちあがっている鯨を見つけました。

 女の子はびっくりして、集落のみんなへ知らせにいきました。

 海岸に鯨がいるのは珍しかったので、

 瞬く間にうわさが広まり、海岸に人だかりができました。

 

 この鯨を捕獲して、当時の商人は生肉や塩漬けにして売ったそうです。

 その後も豊後水道に遊泳する鯨の姿を見かけるようになり、村人たちは

 「鯨が、墓参りに来た」と言って感心したそうです。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

文献等を調べる中で『なぜお墓を建てたのか』という理由を突き止めることはできませんでしたが、

鯨は母性愛が強い哺乳動物であることから、広浦で捕獲した機会に、その霊を慰めるために墓を

建てたのではないかと私は考えています。

この看板が示す方向に10mほど坂道を進んだ先に

鯨魚墓(塔)が寄り添うように二基建立されています。

明治四十年十二月六日

『南無阿弥陀佛 鯨魚墓』と刻まれていて、 "塔" の文字が "墓"に変わっただけで、

同じ念仏が刻まれています。

明治二十一年子旧正月十六日 


『南無阿弥陀佛 鯨魚塔』


という念仏が刻まれています。






























閲覧数:47回0件のコメント

Comments


bottom of page